ショパンの「幻想曲」 [好きな曲etc]

先日、母とスタインウェイをサロンで弾いてきた。
スタインウェイの中でもかなり格上のピアノだったようで
凄く良い音で、自分の実力はともかく、とても美しい音で鳴ってくれた。
体調がイマイチだったのが本当に残念だったけれど、
美しい音に囲まれてとても幸せな時間だった。

その中で、母がショパンの「幻想曲」を弾いた。
完成には程遠いものがあったけれど、一音一音とても美しい音色でサロンに響き渡っていた。

母が弾き終わって交代で自分がピアノを弾こうと席に座った時、
涙がボロボロとこぼれた。
本当にボロボロと。。。

自分でもビックリした。

なぜかは分からなかったけれど、その涙はさっき母が弾いた「幻想曲」に対するものだった。

母もビックリしていた。
そりゃそうだ。。。

動揺する母に自分の状況を説明しようとするが、声がうわずって説明出来ない。
震える声で、「この曲を作ったショパンの気持ちを考えると涙が出た」と
なんとか説明したが、余計に涙が溢れる。

これじゃ号泣やんか・・・[たらーっ(汗)]

その様子を見て、母も貰い泣き。

傍から見たらアホな親子だっただろう。。。[わーい(嬉しい顔)][あせあせ(飛び散る汗)]
でも、なぜだか涙が止まらなかった。

その理由について一生懸命考えたのだけれど、その時は答えがでなかった。
ただ「美しくて、切なかった」としか言い様がなかった。
そしてその理由が気になったまま日々を過ごすことになった。

で、その後から、何故か頭の中でずっとべートーヴェンのソナタ「熱情」の第2楽章が鳴っていた。
「幻想曲」ではなく何故か「熱情」、しかもショパンではなくてベートーヴェン。
自分でも意味がわからなかったけれど[あせあせ(飛び散る汗)]、どうにも気になって手持ちのCDで聞いてみた。

この曲は穏やかで優しく、そして美しい。
うまく言葉に表せないのが残念だけれど、
この曲を聞くと心静かに神様の前で祈る映像が頭に浮かんでくる。
そしてその祈りは本当に純粋で

 神様、私はあなたを信じ、
 全身全霊を捧げますから
 私に幸せを、光を、どうか与えて下さい

そう言ってるように思えてくる。
(これはあくまで私のインスピレーションでしかないのだけれど)

信仰心については正直言うと私にはよくわからないけれど、
この曲を聞くと、その思いが切実で美しすぎて純粋すぎて涙がじわっと出てくる。
言葉は悪いかもしれないけれど、例えば子供が

 いい子にしてるから、僕のお願いを聞いて

と親や神様に必死でお願いするのと同じくらい、純粋なものをこの曲から感じる。
大人はもはやこんなに純粋に何かを願うことなんてなかなか出来ないけれど、
この曲からはそういうひたむきさを感じてしまう。

これが子供ではなく、一人の大人が作曲したと思うと、
ベートーヴェンが如何に純粋だったかと感じずには居られなかった。
そう思うと胸が締め付けられる。
ベートーヴェンが渇望していたのは何だったんだろう と。


そして、ふとここで思った。
ショパンについて。

彼の曲はとにかく美しいし切ないと感じることが多い。
だけど、それはベートーヴェンの「熱情」の第2楽章とは全然違う。
そりゃ、人物も時代も違うしそもそも曲が違うのだから当然なのだけど、もっと根本的な
音楽性以前の違いを感じる。

ショパンもきっと満たされない思いのようなものがあったんだろうけど、
それを他人に求めるどころか、神様にさえ祈ったりしなかったんじゃないかと、
ベートーヴェンを聞いているうちに感じた。
いや、祈ってたのかもしれないけど、そんな姿を感じさせない。
もちろん、ショパンに信仰心が無かったとは思わないけれど、神様に
 
 幸せを与えて下さい

なんてひざまずいて救いをもとめる姿が想像出来ない。。。少なくとも私には。

他者に期待や希望を求めない、孤独で繊細なエネルギーが彼の曲には溢れてる気がする。
ショパンの曲は内省的でありながら、「失意」のようなものを感じたこともあまりない・・・
失意はそもそも期待しなければ生まれないものだし、ショパンは精神的に他者に
依存したり期待したりもしてなかったのかもしれない。
もしかしたら、静かな絶望みたいなものを感じてたのかもしれない。

「幻想曲」を聞いていて、そんな深い深い孤高の孤独を感じた。
だからこそ、その一方で彼の音楽が美しけれ美しいほど、胸が締め付けられる。

でも、その孤独は自分以外の存在への諦念のようなものではなく、
幸せを他者に委ねない芯の通った【強さ】のようなものも感じる。
ショパンの音楽からは、自らを奮い立たせる強さや気高い誇りを感じるけれど、
押し付けがましさや卑屈さは感じられないから。

「幻想曲」からは
(アートという意味ではなく、生き方を含めた)美意識を追求し、
苦しみもがき、時には自分を奮い立たせ、
自分を信じ、自分で人生の責任を持って生きる一人の人間の
生き様が見えた気がした。

 ショパンとはなんて強い人なんだろう。

極端な繊細さと強さを両方持ち合わせるなんて、普通の人間なら破綻してしまうだろう。
だから、ショパンは本当に強い人なんだと感じた。

ショパンを語る程ショパンのことは何も知らないのだけど[あせあせ(飛び散る汗)]
曲がそう語ってる気がした。

ショパンの「幻想曲」
陰鬱とした葬送行進曲から始まり、徐々に幻想的に興奮していったあと、きらびやかに発散し、
自らを奮い立たせるような行進曲があり、終盤へ向けて雄大に歌いあげて、
やがてきらびやかなアルペジオで静かに終わりを迎える。
物語性があり雄大でありながら、本当は自己完結しているようにも思えるこの曲。

このような世界観を持つこの曲は今の自分には大いに感じるものがあった。
ショパンには及ばないけれど、私にも大いに覚えのある感覚だった。
言葉にならなかったけれど、ショパンが考えるきっかけを与えてくれた気がする。

そして、そんなショパンの「幻想曲」を丁寧にうたいあげてくれた母に感謝。

母とピアノを楽しめるのはあとどれくらいだろう。。。それは永遠ではない。
その事に気付き切なくなった。
今日の日を忘れないように、これからの時間を大切に過ごして行きたいと思った。


【終】


ショパンの幻想曲



ベートーヴェンのソナタ「熱情」第2楽章

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Caelum

ベートーヴェンは幼い頃から教会と距離を置かない生活をしていましたから
信仰心を持ち、神の存在を認識していたのでしょうね。
お国柄や時代、そういったものもあるのかもしれませんけれども。
だから彼は自身の運命に絶望した時も、神を恨んでいません。

それに、自然も人間も大好きで感情豊かな人でしたからね。
彼の曲がとても人間臭かったり、神や人へ訴えかけるようであったりするのは
この世の全てが愛しかったからなのでしょう。

だからこそ、ベートーヴェンは大衆のために曲を書いたのだと思います。
全ての人が音楽を楽しめるように、愛しい世界が音楽で満ちるように。

一方で、ショパンは健康状態に難があったり、妹が亡くなったり、祖国では
戦争が起きていたりと、色々とあったようですからね。
恐らく信仰心よりも、人間や運命に対しての怒り、絶望の方が大きかったのでは。

ショパンの曲は、自分や自分に関わりの深いもの、人についての曲が多いです。
自分のための曲や、祖国のため、友のための曲。

これはどちらが良いとか悪いとか、そういった小さな話ではなくて
ベートーヴェンは世界を開こうとし、ショパンは世界を閉じようとした。
そういうことなのではないかと。
by Caelum (2012-11-18 17:43) 

ぱえ

Caelum様!

実は・・・わたくし、作曲家の人となりをほとんど知りません。。。
多分、(クラシックに興味のない)一般人レベルの知識です。
(自慢気に言うことではないですが。。。)

そのくせ、色々と語ってしまいました^▽^;

でも、Caelumさんのコメントを見て、自分の印象が大きく間違ってなかったんだとホッとしました。

>ベートーヴェンは世界を開こうとし、ショパンは世界を閉じようとした。

なるほど・・・
今の私にはベートーヴェンがまぶしいです。。。

ピアノ仲間はショパンは気難しく難しいと言いますが、
今の私にはショパンの方が心に沁みます。
私自身も世界を閉じようとしてるのかもしれないなぁ、、、
by ぱえ (2012-12-05 20:41) 

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